等価交換じゃなくて循環

「何かを得るためには、何かを犠牲にしなければならない」

世の中には、そういう空気がある。

いい作品を作るには、睡眠を削らなければいけない。
成功するには、人間関係を捨てなければいけない。
子どもを持つなら、創作を諦めなければいけない。
仕事を優先するなら、自分の身体を後回しにしなければいけない。

何かを選ぶことは、何かを失うこと。

もちろん現実にはそういう場面もある。
時間も体力も有限だから、すべてを完璧に両立できるわけじゃない。

でも、私はずっとその考え方に違和感があった。

本当に美しいものって、
そんなふうに「誰かの生命を削った上」でしか成立しないんだろうか。

私は、そうは思えない。

むしろ、本当に美しいものというのは、
生命がちゃんと巡っている。

作る人だけが疲弊していない。
支える人だけが我慢していない。
受け取る人だけが消費されていない。

ちゃんと呼吸ができて、
ちゃんと眠れて、
ちゃんと笑えて、
それでもなお、熱量のあるもの。

私はそこに強く惹かれる。

だから私は、「等価交換」という考え方より、
「循環」という感覚を信じたい。

自然界って、本来そういうものだと思う。

呼吸も、
血流も、
水も、
土も、
森も、
全部循環している。

どこか一箇所だけが無理をして、世界が成り立っているわけじゃない。

もちろん、時には偏ることもある。
創作に没頭する時期もある。
何かを優先する瞬間もある。

でも、それは“永続的に削り続けること”とは違う。

ちゃんと戻ってくる。
ちゃんと巡る。
ちゃんと回復できる。

私は、そういう構造の方が美しいと思う。

創作だけが特別なんじゃない。

生活も、
身体も、
仕事も、
人間関係も、
遊びも、
子どもも、
全部生命活動の一部なんだと思う。

だから私は、
何か一つを神聖視して、
他を壊してまで突き進むことに、
どうしても違和感がある。

それよりも、

「すべてが生きたまま成立している」

そういう状態に憧れる。

きっとそれは簡単じゃない。
極端に振り切る方が、ある意味シンプルだから。

でも私は、
削ることでしか生まれないものより、
巡ることで強くなるものを作りたい。

等価交換じゃなくて、循環。

最近ようやく、
自分が本当に求めているものは、
そこにある気がしている。

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